Tales from outside the box
今回は、ベルギーの独立ゲーム開発チーム Tale of Tales へのインタビューです。少人数で生み出される彼らのアーティスティックなゲームは、“一般的な”ゲームとはあまりに違うと感じる人がいるかもしれません。しかし、彼ら2人は“一般的”であることにこだわることなく、「ビデオゲーム」というメディアの枠を広げようと Gent(ベルギーの町のひとつ) で日々活動を行っているのです。
: 読者にあなた方 ToT(Tale of Tales) をどのように紹介したらよいですか?「ベルギーの独立ゲーム開発チーム」でしょうか。チームの紹介をお願いします。
ToT:自分達のことを説明するとすれば「独立ゲームスタジオ」、または「独立ゲーム開発スタジオ」でしょう。もしくは・・・「生意気にも独立ゲーム開発っぽいことをしているアーティスティックな2人組」、かな。Tale of Tales は、ほとんどデーターディレクターの Auriea Harvey とプロセスディレクターの Michael Samyn の二人だけで活動しています。2人ははじめインターネットウェブ関連の仕事を共同で行っていました。そして現在のゲームプロジェクトに到るまで10年間に渡ってコラボレーションしています。2人はゲームのアイデアやデザインなど、ほとんどの仕事を行っています。加えて、Laura Raines Smith は非常勤のメンバーとして参加し、今までの全てのプロジェクトでキャラクターアニメーションを担当してくれました。Gerry De Mol は 『 The Endless Forest 』 と 『 The Graveyard 』 の作曲家、Jarboe は 『 The Path 』 の作曲家として参加してくれました。Kris Force は 『 The Graveyard 』 の効果音を作り、『 The Path 』 の音楽でコラボレーションをしました。さらにほかのフリーランスの専門家を採用することもあります。たとえば、文字の装飾フォント等を担当する Marian Bantjes やその他技術的な仕事を行う Hans Zantman などです。
: Tale of Tales というチーム名の由来はなんでしょうか?
ToT:眠れる美女の物語を元とした最初の作品 『 8 』 を作っていたときに参考にした、中世後半からのイタリア童話集のタイトルです(詳しくは Wikipedia )。後に、Yuri Norstein というアニメーション作家が Tale of Tales というアニメを演出していたことを知りました。そして不思議なことに、その映画のスタイルは私達のスタイルと実に似ていたのです。ディジタルメディア技術を少し不器用に、アーティスティックに、そしてアナログ的な使い方をしているいうところが特に。
そしてもちろん、この名前は私達の作品の方向性も表しています。” Tale of Tales ”とは、一つの物語を様々な方法の中からどう語ってゆくかという、「語り方」のこと。つまり物語自体だけでなく、その”語り口”も同様に大きな興味の対象なのです。その物語の歴史、人による様々な解釈、プレイヤーとその物語との関係、その物語の中の一人としてのプレイヤーなど、多様な”語り口”の存在は、インタラクティブなメディアであるゲームの強みのひとつだと思います。
: 今あなた達がやっている活動は、どのようにして生まれたのでしょうか?
ToT:多くの同業者とは違い、ビデオゲームをプレイして楽しいとか、「大人になったらゲーム開発をしたい」と考えていたわけではありません。確かにいくつかのゲームをプレイし、それに影響を受けることはありましたが、真剣にゲームを作ろうと思ったことは一度もありませんでした。何か特別な理由というよりは、仕方なくゲームを作り始めたという感じです。90年代後半は、インターネットウェブに関する仕事を精力的に行っていました。当時ウェブ上は誰もがクリエイティブで、消費者と直接交流のできる開かれた世界だったのです。また、ウェブはコンピュータメディアであり、インタラクティブなコンテンツを自ら生み出して遊ぶことができました。その時ウェブというのは私達にとって理想の領域であり、ある種の“仮想空間”として大きな期待を寄せていました。しかしウェブが成熟するにつれ、その期待は全て崩れ落ちました。ウェブは直ちに過去のメディアへと戻ってしまったのです。そこで行われているのは、例えば動画や画像を共有すること。そしてチャットをすることなどです。
没入感のある仮想空間を作り出すといったアイディアは、ウェブの領域からは消えてしまった。私達は仮想空間の構築というアイディアに対してまだ取り組むべきだと感じ、そのような仕事のできる領域を探した結果、ビデオゲームへとたどり着きました。幸運にもちょうどその頃、私達のようなアーティストでもゲームが作れるようなインタフェースが現れはじめました。我々はついにゲーム業界に乗り込み、ゲーム産業に対して多くの調査を行い、最初のゲームプロジェクト 『 8 』 を立ち上げました。しかし2年間開発を行ってたどりついた結論は、「この作品は決して完成できない」というものでした。その作品はあまりに独自性がありすぎて、その時存在するどんなジャンルにも当てはまらず、結果としてメーカーの協力を得るにはあまりに危険すぎたのです。その時はあまり認識していませんでしたが、このとき我々は独立ゲーム開発チームになっていました。今は小さなゲームを作り続けています。私達は、大きなメーカーに私達のプロジェクトをまかせたくはありません。もちろん他の人々にもです。よって初めから2人でもできるくらいのプロジェクトを立てます。もしお金があれば、さらに人を雇います。しかし大きなゲーム開発スタジオを経営することに興味はありません。なぜなら大きなチームだと、プロジェクトに集中することができないからです。「私達の作品を作る」こと以外に、やるべきことが多すぎるのです。
: 正直に言えば『 The Graveyard 』(『The PATH』の一つ前の作品:プレイヤーにできるのは、墓場を老婆の姿で歩き回ることのみ。アートショートムービーのようなクオリティとゲーム的要素の少なさから、ゲームとは思えない不思議な雰囲気を持っている)を知ったとき、これが成功するか疑問でした。”歳をとった女性が墓地でうろうろする”というアイディアは、戦う、謎を解く、車を運転する、飛びまわる、進行方向を指示するといったことに慣れているゲーマー達には、あまり受け入れられないだろうと思ったからです。このコンセプトは一体どのようにして思いついたのでしょうか?
ToT:私たちはゲームに「仮想世界を動きまわる、その中で素晴しいキャラクターに出会う、見知らぬ景色の中を探索する」といった素晴らしい要素があるからこそ、ゲームをつくり始めました。そういった面に焦点を当てたゲームを作りたいと思っています。得点を取ったり、敵を撃ったりすることにあまり興味はありません。実は、ゲームの謎解きを飛ばしてしまえるボタンが欲しくなることがよくあります。何故ならそういった謎解きは物語を中断させて、その世界の体験からプレイヤーを遠ざけてしまうからです。たくさんの人々が同じ考えを持っていると感じますし、ビデオゲームというメディアが映画や文学作品、音楽といった文化のように人々に広まらない理由の一つだと思います。私たちはある意味で、ゲームを一度もしたことのない人たちに向けてゲームを作っています。私たちは、自分のゲームをただプレイするだけではなく”意味あるもの”にしたいのです。そのために、私達はテーマやストーリー内容からゲームを作っていきます。一方で他の一般のビデオゲームは、ゲームシステムを先に作り、それをもとにストーリーを作っていきます。例えば 『The Graveyard 』 は、歳をとるという気持ちやお年寄りについて考えるためのある種のツールとして作りたかった。これは、生に囲まれて生きている人々が、死について考えるきっかけです。『The Graveyard』 は確かにビデオゲームらしくないですが、ビデオゲームでよく扱われる”死”というテーマを扱っています。これは少し皮肉なことでもありますね。ゲームキャラクターはよく死にますし、またその多くがしばしば生き返ります。また、死に方も派手で劇的です。私達は 『The Graveyard』の中で死を、生の傍らにある自然なものとして描きたかった。ゲームを、プレイヤーが住む現実世界の視点で作りたかったのです。私達のゲームは、現実からゲーム世界へと逃避するためのものではありません。このゲームは現実の生活に関する何かを語り、そして現実生活をより楽しむためのものなのです。
: 『The Graveyard 』や『The PATH』は Valve の Steam を通じて配布されています。Valve から連絡があったのでしょうか?それとも逆に、Valve へと連絡をしたのでしょうか?
ToT:『The Graveyard 』 の開発が終わったときに、こちらから Valve に配布したいかどうか尋ねましたが、その時彼らは断りました。後により一般向けの 『 The Path 』 の開発が終わったときに、Valve のほうから 『 The Graveyard 』(Independent Games Festival にノミネートされていました)も同時に配布したいという話が来ました。この時、配信しているほぼ全てが普通のジャンルのゲームであった Valve が我々のアンチゲームを受け入れたのは、非常におかしなことでした。しかし Steam ユーザーの中にも、『The Graveyard』を面白いと感じる人もいます。ゲームプレイヤー達にはいろいろな人がいて、好みもいろいろであるということに気づいたことはとても嬉しいことでした。全てのゲームが、いつも何かを操縦したり射撃をする必要はないのです。Valve が我々のゲームを配布する勇気を持っていたことを嬉しく思います。そしてこのことが、他のゲーム開発者がもっとアーティスティックで、今までにない経験のできるゲームを開発する勇気をもつことに繋がることを望んでいます。
: あなた方のゲームに対しては、“素晴らしい”というコメントと同時に“こりゃゴミだな”という意見もありました。あなた方はそういったコメントとユーザーの認識についてどう考えていますか?
ToT:そうですね、幅広いコメントがあるのはとてもよいと感じています。我々が正しい方向を向いていることの証だと思います。もし我々のゲームが万人に気に入られる作品だったなら、我々はもっと考える必要があったでしょう。万人受けするゲームというのは、メディアを徹底的に深く探求して独創性が感じられるほど、”先”まで到達していないのです。もちろん言われるような非難を受けるのはしばしば辛く、作品の裏にある意図を人々に説明しようと考えることもよくあります。しかし、それはほんの少しの尊敬を得るだけでどうにもなりません。さらに、ネット上では嫌いなものについてひどいことが書かれることがよくありますので、我々は人々を納得させるというよりはむしろ議論をうけますね。
まぁ・・・一つ言わせてもらえるなら、例えば我々のようなクリエーターがいなければ、ゲーム業界はとても退屈だとは思いませんか?
: 今現在 『 The Path 』 は Mac OSX 版も出ています。以前 PR 文の中で 『 The Path 』 は本当にマックユーザー向けだと感じています」と言われていましたが、これは何故そう思ったのでしょうか?
ToT:Mac を持っているたくさんの友人はいつも我々の作品に興味を持ってくれていました。しかし、今までは Windows 版しかなかったので、プレイすることができなかったのです。Mac ユーザーの人々に受け入れられるゲームを Windows 専用で開発するというのは、まるで“ノンゲーマー用のゲームを作る”ような感覚でした。もちろんこれは大変一般化して言っているだけで、たくさんの Windows ユーザーが、我々の作品を楽しんでくれています。これは単純に割合の問題なのです。Windows ユーザー10人に我々の作品を見せると、そのうち1人が気に入ってくれますが、10人の Mac ユーザーだとそのうち3人が気に入ってくれるでしょう。しかしもちろん Windows ユーザーの方が多いので、全体としては気に入る Windows ユーザーの人の数のほうが多くなります。あれはマック版用の PR 文だったので・・まぁ少し言い過ぎたかもしれませんね。しかし Windows を買う人の多くは趣味のためで、その趣味は暴力的なシューティングゲームをプレイすることです。私達はそのようなゲームを作ろうとは思いません。
: 他のプラットフォーム向けのゲーム開発は考えていますか?
ToT:はい。Wiiとプレイステーション向けにゲームを作りたいと考えています。しかしその2つのハードは、我々のようなアーティスティックなゲーム開発者には敷居が高くなっています。なぜなら一般的にそれらのプラットフォーム向けにメジャータイトル的な開発をしようとする場合、その目的はお金です。しかし私達の目的はお金ではないのです。私達はアートプラットフォームとしてゲームメディアを進歩させ、ゲームの魅力をひろげてゆくことが目的です。資本主義の人々は、目先のことしか考えません。しかし私達は長い期間を見据えて活動を続けるつもりです。
: 相対的に、あなたのゲーム/作品は小説というより詩に近い短さです。 全体が長く、ストーリー主体の大作を作る予定はありますか?
ToT:いいえ、ありません。私たちの最初のゲーム 『 8 』 は、今言われたような大作でした。そして、私たちはそれを決して作り終えることができませんでした。当時、生産のための基金を調達することができなかったのです。しかし今思えば、資金調達をしなかったことを嬉しく思います。きっとそうなれば大きなプロジェクト規模になり、30人程度の参加者内でチームを組み、私達はゲームデザインというよりプロジェクトマネージメントに力を割かなければならなかったでしょう。そしてそれはおそらく、ゲームの質にマイナスに働いたと思います。それ以来、私たちは小会社のままでいることを決めています。私たちは会社規模として成長したくはありません。代わりに、私たちの仕事に焦点を合わせ集中したいのです。私達の仕事の多くは、ある意味で小さな規模の研究のようなものです。そして、他の人々はきっと私達の研究をもとに大きな作品を作ることができます。そういった意味で、私達は小さいゲームを作ることに大きな満足を得ています。ゲームを作ることは幸せなのです。また私たちは、リアルタイム3D が詩的表現のための技術であり、平凡なものではないと感じています。ゲームメディアで物語を語ろうとするとき、一般的には一方通行で展開の速いものを作ってしまいがちです。しかし、一方通行ではなくゆっくりと進行するという特徴こそが、詩人にとって素晴らしいものなのです。
: あなたの経験上、小チームでの開発の利点と欠点はなんでしょうか?
ToT:私達にとって最も大きな利点の1つは、オフィスで働く必要がないということです。 私達は、自分のパジャマで自分の机に向かって一日中働くことができます。私達はおそらくオフィスで働くどんな人々よりも熱心に働いているでしょう。 私たちが2人で家でする仕事量は、きっと普通オフィスワーカー8人分にも値すると思います!つまり、「より全力で働けること」が利点ですね。もう一つの利点は、自らのデザインに関して敵のいない完全な独裁者であるということです。大きいチームでは、自分の生み出したものに対して皆が満足しているかどうかを常に確認する必要があります。これはしばしば結果として、あまりに多すぎる妥協や、水で薄められたようなデザインを生み出します。決定を行う人が2人しかいなければ、アイディアは鋭く集中した状態を維持できるでしょう。ただ、これの欠点は自分の生み出した作品/仕事が、ホームオフィスの外の人間にとってはあまりに不鮮明で分かりにくいものになる危険性があるということです。 大きいチームであれば、一般的な聴衆の代わりをつとめ、ある程度なら彼らの関心をつかむことができます。つまり”水で薄められる”ことが有益である場合もあるのです。それは、より多くの人々に対して受け入れやすくなる”アクセシビリティ”の向上です。もう一つのの欠点は、大きな会社から真剣な、信頼するパートナーとして見られないことです。これは変わっていくことを願います。
: ベルギーのゲームシーン(共同体、開発者、流通など)に関して教えてもらえますか?
ToT:うーん、私達に言えるのは「ハハハハ・・。」あるいは「ベルギーのゲームシーンってなに?」ということくらいですね。・・・真面目な話、ベルギーは非常に小さい国です。 そして、技術、特にゲームに関しては、非常に保守的です。 ベルギーにいるゲーム開発者はあまり多くはありません。盛んなゲームコミュニティがあるようにも思えますが、それを支えているのはほとんどが10代の少年達と、成長を諦めた大人たちです。そこに所属すれば再び90年代に戻ったかのような気分になれますよ。
まぁそれはそれとして、このようなゲーム未開地にこそ多くのチャンスがあるのも確かです。面白いことに、たった2人の我々の小さなスタジオが、ベルギーでも有力な会社なのです(私たちは確実に世界中の最もよく知られているベルギーのゲーム会社の1つでしょう)。そして現在、ゲームメディアの外側からもゲームに関する関心が増加しています。彼らは、ベルギー独自の新しいゲーム産業を生み出そうとしているのです。この流れは非常におもしろいと思いますし、私達も注目しています。本当に素晴らしい芸術作品がベルギーで生み出されています。ビールやチョコレート、ファッションだけではなく、音楽、舞踊、劇、ファイン・アートもです。ゆっくりですが、確実にこれらの才能のいくらかがゲームへと向けられていっています。彼らは現在はまだあまり大々的にやろうとはせず、単純にコンピュータを用いて表現をしようとしています。しかし、おそらく何らかの素晴らしいものがそこから発生してゆくでしょう。ゲーム産業は現在絶望的なくらいに、新鮮な空気を欲しています。きっとベルギーは、そのいくつかを提供できるでしょう。
: ヨーロッパは質の高い視聴覚的な作品や、アート作品(時にはアーティスティックすぎるものも)を生み出すことで有名です。このヨーロッパの状況はあなたの作品にどう影響を与えているのでしょうか?
ToT:アーティストとしてメディアテクノロジーの新たな可能性には興味があるので、たくさんのヨーロッパの映画監督の作品には自然と引き込まれます(しかし、我々はアメリカの Hal Hartley と中国の Wong Kar Wai の作品もすばらしいと思います)。ヨーロッパに住んでいることは、アート作品を作る理由をより楽なものにしてくれます。つまり“アート作品を作りたいからアート作品を作る”ということです。ヨーロッパでは実際にアート作品を作るときに、政府から補助金を受け取ることができるのですよ。我々は、アメリカの同業者に比べて売れるかどうかを気にすることなく作品を作ることができます。これはビデオゲームメディアの発展のために非常に重要なことだと考えています。ビデオゲームは今現在成功している分野ではありますが、映画や文学作品、音楽などに比べると社会に広まってはいません。ビデオゲームはまだ辺境メディアの一つなのです。それはずっと変わらないかもしれませんし、かつてのように消えてしまうかもしれません(ファミコンの出現前まではビデオゲームはほとんど人気がなかった)。この素晴しいインタラクティブ技術が、あるジャンルで制限されている現在の状況、そして成功できず消えてしまうことは非常に残念なことです。我々の活動は、このメディアに対して重要なものだと思います。このメディアをきちんと探求/模索している人は少ない。その原因の一つは、メーカーのリスク回避です。ヨーロッパではアートの革新への大きな許容力があります。革新を行うことが当然と考える国/場所すらあります—時には改革がよくありすぎて退屈だと捉えられることさえ。あらゆることが議論され、タブーはほとんどありません。一方でヨーロッパ人は、(アメリカはリーダーなので)アメリカに対しては作品作りや話す内容を少し気をつけないといけません。いまだに、ヨーロッパ内外でのタブーの違いには時々困ることがあります。
: 話の中心をヨーロッパから離しましょう!何か日本の民話や神話を元にして、ゲームかインタラクティブな作品を作りたいと思いますか?
ToT:実は日本の民話や神話などをよく知らないのです。『怪談(kwaidan)』の一つから作品にするのは面白いかもしれません。なぜなら、『怪談(kwaidan)』は日本人ではない外国人が、日本のこわい昔話を翻訳したものですから。しかし現状、日本神話を作品にできるほど日本の文化を私達は知らないと思います。別の文化のものを勝手に使わないほうがいいとは思いますが・・・お互いの文化から影響をうけることは、きっとすばらしい結果を生みますね。
: 日本のホラー映画やゲームは、日本だけではなく海外でも人気があります。例としては、リングやサイレントヒルなど。あなた方は気味の悪い表現がすきではないですか?外国人の点からみたら日本ホラーに独自の怖さとは何でしょうか。
ToT:今までの経験からすると、アジアのホラー映画はより心理的で神秘的です。一方西洋のホラー映画は、もっと血だらけの暴力表現が多く、アクションが中心です。私たちはだんだん怖くなっていく、落ち着かなくなるようなホラーのほうが好みです。もちろん ロブゾンビ 監督の映画も十分に楽しめますが、自分たちが作りたいものではありません。また、サイレントヒルには思い入れがあります。サイレントヒル1と2(3もある程度)はインタラクティブなストーリー展開、素敵なグラフィックや音楽が楽しめる名作です。これはおそらくですが、きっとサイレントヒルが名作である理由のひとつとして、サイレントヒルの世界がクリエイターの想像上だけのアメリカの町であったからではないかと思います。日本人のデザイナーたちが、アメリカの文化に幽霊のように潜入したように感じられると思います。日本のホラーゲームで描かれる”通常の”アメリカの町はとても奇妙です。ゲームからモンスターをなくしたとしても、サイレントヒルという町自体が非常に不気味なのです。
: 日本の(ホラー)ゲームの中でお気に入りはありますか?.
ToT:ホラーゲームなら絶対にサイレントヒル2が一番です。でも、サイレントヒル1と3、そして零~zero~もなかなか面白かった。バイオハザードはシューティングゲームのような雰囲気で、そんなに夢中にはなれませんでした。シャドウオブメモリーズというゲームもお気に入りです。そしてもちろん、ICO とか動物の森とか、最近だとNoby Noby Boy などもいいですね。やっぱりみんなのように、我々デザイナーのお気に入りリストも日本人ばかりです。もう日本は最高です。脱帽ですね!
: 可能であればどの日本のアーティストとコラボしたいですか?どんな共同プロジェクトに参加したいですか?
ToT:日本のゲームデザイナー 佐藤隆善 さんと一緒に、”首無しの預言者の体を持つ女性の踊り子”が主人公のゲームを作る計画があります。スタジオジブリの作品ならどの作品のゲームであっても作りたいと思います。上田文人 氏をボス戦やパズルのないインタラクティブなゲームに招待したいです。小島秀夫 氏はきっと兵士の出ないゲームを我々と作ってくださる(きっとそうしたいでしょう)。山本耀司 氏と 川久保玲 さんにデザインされたキャラクターのコスチュームもいいですね。いや~是非コラボレーションしたいな~。
: 最後に、こちらの読者にコメントかメッセージはありますか?
ToT:日本の開発会社とメーカーさんにメッセージがあります。西洋の人々にアピールしなければいけないという訳ではありません。我々は既に日本の大ファンです。西洋向けのゲームには、銃や爆発がなくても大丈夫です。さらに、ホラーゲームをアメリカの会社に絶対に、決して外注しないようにお願いします!
また、日本人の読者の方に質問ですが、『 The Path 』 を日本で発売するときに、元の英語を残したほうがよいでしょうか?『 The Path 』 にはテキストはすこししかありませんが、その英語には二重の意味がある言葉がたくさんあり、非常に詩的なテキストなので翻訳すると細かいニュアンスが失われてしまうかもしれないからです。
: ありがとうございまし

今回は、ベルギーの独立ゲーム開発チーム Tale of Tales へのインタビューです。少人数で生み出される彼らのアーティスティックなゲームは、“一般的な”ゲームとはあまりに違うと感じる人がいるかもしれません。しかし、彼ら2人は“一般的”であることにこだわることなく、「ビデオゲーム」というメディアの枠を広げようと Gent(ベルギーの町のひとつ)で日々活動を行っているのです。
: 読者にあなた方 ToT(Tale of Tales) をどのように紹介したらよいですか?「ベルギーの独立ゲーム開発チーム」でしょうか。チームの紹介をお願いします。
ToT:自分達のことを説明するとすれば「独立ゲームスタジオ」、または「独立ゲーム開発スタジオ」でしょう。もしくは・・・「生意気にも独立ゲーム開発っぽいことをしているアーティスティックな2人組」、かな。Tale of Tales は、ほとんどデーターディレクターの Auriea Harvey とプロセスディレクターの Michael Samyn の二人だけで活動しています。2人ははじめインターネットウェブ関連の仕事を共同で行っていました。そして現在のゲームプロジェクトに到るまで10年間に渡ってコラボレーションしています。2人はゲームのアイデアやデザインなど、ほとんどの仕事を行っています。加えて、Laura Raines Smith は非常勤のメンバーとして参加し、今までの全てのプロジェクトでキャラクターアニメーションを担当してくれました。Gerry De Mol は 『 The Endless Forest 』 と 『 The Graveyard 』 の作曲家、Jarboe は 『 The Path 』 の作曲家として参加してくれました。Kris Force は 『 The Graveyard 』 の効果音を作り、『 The Path 』の音楽でコラボレーションをしました。さらにほかのフリーランスの専門家を採用することもあります。たとえば、文字の装飾フォント等を担当する Marian Bantjes やその他技術的な仕事を行う Hans Zantman などです。
: Tale of Tales というチーム名の由来はなんでしょうか?
ToT:眠れる美女の物語を元とした最初の作品 『 8 』を作っていたときに参考にした、中世後半からのイタリア童話集のタイトルです。後に、Yuri Norstein というアニメーション作家が Tale of Tales というアニメを演出していたことを知りました。そして不思議なことに、その映画のスタイルは私達のスタイルと実に似ていたのです。ディジタルメディア技術を少し不器用に、アーティスティックに、そしてアナログ的な使い方をしているいうところが特に。そしてもちろん、この名前は私達の作品の方向性も表しています。” Tale of Tales ”とは、一つの物語を様々な方法の中からどう語ってゆくかという、「語り方」のこと。つまり物語自体だけでなく、その”語り口”も同様に大きな興味の対象なのです。その物語の歴史、人による様々な解釈、プレイヤーとその物語との関係、その物語の中の一人としてのプレイヤーなど、多様な”語り口”の存在は、インタラクティブなメディアであるゲームの強みのひとつだと思います。
: 今あなた達がやっている活動は、どのようにして生まれたのでしょうか?
ToT:多くの同業者とは違い、ビデオゲームをプレイして楽しいとか、「大人になったらゲーム開発をしたい」と考えていたわけではありません。確かにいくつかのゲームをプレイし、それに影響を受けることはありましたが、真剣にゲームを作ろうと思ったことは一度もありませんでした。何か特別な理由というよりは、仕方なくゲームを作り始めたという感じです。90年代後半は、インターネットウェブに関する仕事を精力的に行っていました。当時ウェブ上は誰もがクリエイティブで、消費者と直接交流のできる開かれた世界だったのです。また、ウェブはコンピュータメディアであり、インタラクティブなコンテンツを自ら生み出して遊ぶことができました。その時ウェブというのは私達にとって理想の領域であり、ある種の“仮想空間”として大きな期待を寄せていました。しかしウェブが成熟するにつれ、その期待は全て崩れ落ちました。ウェブは直ちに過去のメディアへと戻ってしまったのです。今そこで行われているのは、例えば動画や画像を共有すること。そしてチャットをすることなどです。没入感のある仮想空間を作り出すといったアイディアは、ウェブの領域からは消えてしまった。私達は仮想空間の構築というアイディアに対してまだ取り組むべきだと感じ、そのような仕事のできる領域を探した結果、ビデオゲームへとたどり着きました。幸運にもちょうどその頃、私達のようなアーティストでもゲームが作れるようなインタフェースが現れはじめました。我々はついにゲーム業界に乗り込み、ゲーム産業に対して多くの調査を行い、最初のゲームプロジェクト 『 8 』を立ち上げました。しかし2年間開発を行ってたどりついた結論は、「この作品は決して完成できない」というものでした。その作品はあまりに独自性がありすぎて、その時存在するどんなジャンルにも当てはまらず、結果としてメーカーの協力を得るにはあまりに危険すぎたのです。その時はあまり認識していませんでしたが、このとき我々は独立ゲーム開発チームになっていました。今は小さなゲームを作り続けています。私達は、大きなメーカーに私達のプロジェクトをまかせたくはありません。もちろん他の人々にもです。よって初めから2人でもできるくらいのプロジェクトを立てます。もしお金があれば、さらに人を雇います。しかし大きなゲーム開発スタジオを経営することに興味はありません。なぜなら大きなチームだと、プロジェクトに集中することができないからです。「私達の作品を作る」こと以外に、やるべきことが多すぎるのです。
: 正直に言えば『 The Graveyard 』(『The PATH』の一つ前の彼らの作品:プレイヤーにできるのは、老婆となって墓場を歩き回ることのみ。アートショートムービーのようなグラフィックと、ゲーム的要素の少なさからゲームの枠を超えて異彩を放っている)を知ったとき、これが成功するか疑問でした。”歳をとった女性が墓地でうろうろする”というアイディアは、戦う、謎を解く、車を運転する、飛びまわる、進行方向を指示するといったことに慣れているゲーマー達には、あまり受け入れられないだろうと思ったからです。このコンセプトは一体どのようにして思いついたのでしょうか?
ToT: 私たちはゲームに、「仮想世界を動きまわる、その中で素晴しいキャラクターに出会う、見知らぬ景色の中を探索する」といった素晴らしい要素があるからこそ、ゲームをつくり始めました。そういった面に焦点を当てたゲームを作りたいと思っています。得点を取ったり、敵を撃ったりすることにあまり興味はありません。実は、ゲームの謎解きを飛ばしてしまえるボタンが欲しくなることがよくあります。何故ならそういった謎解きは物語を中断させて、その世界の体験からプレイヤーを遠ざけてしまうからです。たくさんの人々が同じ考えを持っていると感じますし、ビデオゲームというメディアが映画や文学作品、音楽といった文化のように人々に広まらない理由の一つだと思います。私たちはある意味で、ゲームをまだ一度もしたことのない人たちに向けてゲームを作っています。私たちは、自分のゲームをただプレイして遊ぶだけではない”意味あるもの ”にしたいのです。そのために、私達はテーマやストーリー内容からゲームを作っていきます。一方で他の一般のビデオゲームは、ゲームシステムを先に作り、それをもとにストーリーを作っていきます。例えば 『 The Graveyard 』は、歳をとるという気持ちやお年寄りについて考えるためのある種のツールとして作りたかった。これは、生に囲まれて生きている人々が、死について考えるきっかけです。『The Graveyard』は確かにビデオゲームらしくないですが、ビデオゲームでよく扱われる”死”というテーマを扱っています。これは少し皮肉なことでもありますね。一般的にゲームキャラクターはよく死に、またその多くが生き返ります。また、キャラクターの死に方も派手で劇的です。私達は『The Graveyard』の中で死を、生の傍らにある自然なものとして描きたかった。ゲームを、プレイヤーが住む現実世界の視点で作りたかったのです。私達のゲームは、現実からゲームの世界へと逃避するためのものではありません。このゲームは現実の生活に関する何かを語り、そして現実生活をより楽しむためのものなのです。
: 『The Graveyard 』 や『The PATH』は Valve の Steam を通じて配布されています。Valve から連絡があったのでしょうか?それとも逆に、Valve へと連絡をしたのでしょうか?
ToT: 『The Graveyard 』 の開発が終わったときに、こちらから Valve に配布したいかどうか尋ねましたが、その時彼らは断りました。後により一般向けの 『 The Path 』 の開発が終わったときに、Valve のほうから 『 The Graveyard 』も同時に配布したいという話が来ました。この時、配信しているほぼ全てが普通のジャンルのゲームであった Valve が我々のアンチゲームを受け入れたのは、非常におかしなことだと思いました。しかしもちろん Steam ユーザーの中にも、『The Graveyard 』を面白いと感じる人もいます。ゲームプレイヤー達にはいろいろな人がいて、好みもいろいろであるということに気づいたことはとても嬉しいことでした。全てのゲームが、いつも何かを操縦したり射撃をする必要はないのです。Valve が我々のゲームを配布する勇気を持っていたことを嬉しく思います。そしてこのことが、他のゲーム開発者がもっとアーティスティックで、今までにない経験のできるゲームを開発する勇気をもつことに繋がることを望んでいます。
: あなた方のゲームに対しては、“素晴らしい”というコメントと同時に“こりゃゴミだな”という意見もありました。あなた方はそういったコメントとユーザーの認識についてどう考えていますか?
ToT: そうですね、幅広いコメントがあるのはとてもよいと感じています。我々が正しい方向を向いていることの証だと思います。もし私たちのゲームが万人に気に入られるものだったなら、我々はもっと考える必要があったでしょう。万人受けするゲームというのは、メディアを徹底的に深く探求し、独創性が感じられるほど”先”まで到達していないのです。もちろん言われるような非難を受けるのはしばしば辛く、作品の裏にある意図を人々に説明しようと考えることもよくあります。しかし、それはほんの少しの尊敬を得るだけでどうにもなりません。さらに、ネット上では嫌いなものについてひどいことが書かれることがよくありますので、我々は人々を納得させるというよりはむしろ議論をうけますね。
まぁ・・・一つ言わせてもらえるなら、例えば我々のようなクリエーターがいなければ、ゲーム業界はとても退屈だとは思いませんか?
: 今現在 『 The Path 』 は Mac OSX 版も出ています。以前 PR 文の中で 『 The Path 』 は本当にマックユーザー向けだと感じています」と言われていましたが、これは何故そう思ったのでしょうか?
ToT: Mac を持っているたくさんの友人はいつも我々の作品に興味を持ってくれていました。しかし、今までは Windows 版しかなかったので、プレイすることができなかったのです。Mac ユーザーの人々に受け入れられるゲームを Windows 専用で開発するというのは、まるで“ノンゲーマー用のゲームを作る”ような感覚でした。もちろんこれは大変一般化して言っているだけで、たくさんの Windows ユーザーが、我々の作品を楽しんでくれています。これは単純に割合の問題なのです。Windows ユーザー10人に我々の作品を見せると、そのうち1人が気に入ってくれますが、10人の Mac ユーザーだとそのうち3人が気に入ってくれるでしょう。しかしもちろん Windows ユーザーの方が多いので、全体としては気に入る Windows ユーザーの人の数のほうが多くなります。あれはマック版用の PR 文だったので・・まぁ少し言い過ぎたかもしれませんね。しかし Windows を買う人の多くは趣味のためで、その趣味は暴力的なシューティングゲームをプレイすることです。私達はそのようなゲームを作ろうとは思いません。
: 他のプラットフォーム向けのゲーム開発は考えていますか?
ToT: はい。Wiiとプレイステーション向けにゲームを作りたいと考えています。しかしその2つのハードは、我々のようなアーティスティックなゲーム開発者には敷居が高くなっています。なぜなら一般的にそれらのプラットフォーム向けにメジャータイトル的な開発をしようとする場合、その目的はお金です。しかし私達の目的はお金ではないのです。私達はアートプラットフォームとしてゲームメディアを進歩させ、ゲームの魅力をひろげてゆくことが目的です。資本主義の人々は、目先のことしか考えません。しかし私達は長い期間を見据えて活動を続けるつもりです。
: 相対的に、あなたのゲーム/作品は小説というより詩に近い短さです。 全体が長く、ストーリー主体の大作を作る予定はありますか?
ToT: いいえ、ありません。私たちの最初のゲーム 『 8 』は、今言われたような大作でした。そして、私たちはそれを決して作り終えることができませんでした。当時、生産のための基金を調達することができなかったのです。しかし今思えば、資金調達をしなかったことを嬉しく思います。きっとそうなればプロジェクト規模が大きくなり、30人程度の参加者内でチームを組み、私達はゲームデザインというよりプロジェクトマネージメントに力を割かなければならなかったでしょう。そしてそれはおそらく、ゲームの質にマイナスに働いたと思います。それ以来、私たちは小会社のままでいることを決めています。私たちは会社規模として成長したくはありません。代わりに、私たちの仕事に焦点を合わせて集中したいのです。私達の仕事の多くは、ある意味で小さな規模の研究のようなものです。そして、他の人々はきっと私達の研究をもとに大きな作品を作ることができます。そういった意味で、私達は小さいゲームを作ることに大きな満足を得ています。ゲームを作ることは幸せなのです。また私たちは、リアルタイム3D が詩的表現のための技術であり、平凡なものではないと感じています。ゲームメディアで物語を語ろうとするとき、一般的には一方通行で展開の速いものを作ってしまいがちです。しかし、一方通行ではなくゆっくりと進行するという特徴こそが、詩人にとって素晴らしいものなのです。
: あなたの経験上、小チームでの開発の利点と欠点はなんでしょうか?
ToT: 私達にとって最も大きな利点の1つは、オフィスで働く必要がないということです。私達は、自分のパジャマで自分の机に向かって一日中働くことができます。私達はおそらくオフィスで働くどんな人々よりも熱心に働いているでしょう。私たちが2人で家でする仕事量は、きっと普通オフィスワーカー8人分にも値すると思います!つまり、「より全力で働けること」が利点ですね。もう一つの利点は、自らのデザインに関して敵のいない完全な独裁者であるということです。大きいチームでは、自分の生み出したものに対して皆が満足しているかどうかを常に確認する必要があります。これはしばしば結果として、あまりに多すぎる妥協や、水で薄められたようなデザインを生み出します。決定を行う人が2人しかいなければ、アイディアは鋭く集中した状態を維持できるでしょう。ただ、これの欠点は自分の生み出した作品/仕事が、オフィスの外の人間にとってはあまりに不鮮明で分かりにくいものになる危険性があるということです。大きいチームであれば、一般的な聴衆の代わりをつとめ、ある程度なら彼らの関心をつかむことができます。つまり”水で薄められる”ことが有益である場合もあるのです。それは、より多くの人々に対して受け入れやすくなる”アクセシビリティ”の向上です。もう一つの欠点は、大きな会社から真剣な、信頼するパートナーとして見られないことです。これは変わっていくことを願います。
: ベルギーのゲームシーン(共同体、開発者、流通など)に関して教えてもらえますか?
ToT: うーん、私達に言えるのは「ハハハハ・・。」あるいは「ベルギーのゲームシーンってなに?」ということくらいですね。・・・真面目な話、ベルギーは非常に小さい国です。 そして、技術、特にゲームに関しては、非常に保守的です。ベルギーにいるゲーム開発者はあまり多くはありません。盛んなゲームコミュニティがあるようにも思えますが、それを支えているのはほとんどが10代の少年達と、成長を諦めた大人たちです。そこに所属すれば再び90年代に戻ったかのような気分になれますよ。まぁそれはそれとして、このようなゲーム未開地にこそ多くのチャンスがあるのも確かです。面白いことに、たった2人の我々の小さなスタジオが、ベルギーでも有力な会社なのです(私たちは確実に世界中で最もよく知られているベルギーのゲーム会社の1つでしょう)。そして現在、ゲームメディアの外側からもゲームに関する関心が増加しています。彼らは、ベルギー独自の新しいゲーム産業を生み出そうとしているのです。この流れは非常におもしろいと思いますし、私達も注目しています。本当に素晴らしい芸術作品がベルギーで生み出されています。ビールやチョコレート、ファッションだけではなく、音楽、舞踊、劇、ファイン・アートもです。ゆっくりですが、確実にこれらの才能のいくらかがゲームへと向けられていっています。彼らは現在はまだあまり大々的にやろうとはせず、単純にコンピュータを用いて表現をしようとしています。しかし、おそらく何らかの素晴らしいものがそこから発生してゆくでしょう。ゲーム産業は現在絶望的なくらいに、新鮮な空気を欲しています。きっとベルギーは、そのいくつかを提供できるでしょう。
: ヨーロッパは質の高い視聴覚的な作品や、アート作品(時にはアーティスティックすぎるものも)を生み出すことで有名です。このヨーロッパの状況はあなたの作品にどう影響を与えているのでしょうか?
ToT: アーティストとしてメディアテクノロジーの新たな可能性には興味があるので、たくさんのヨーロッパの映画監督の作品には自然と引き込まれます(しかし、我々はアメリカの Hal Hartley と中国の Wong Kar Wai の作品もすばらしいと思います)。ヨーロッパに住んでいることは、アート作品を作る理由をより楽なものにしてくれます。つまり“アート作品を作りたいからアート作品を作る”ということです。ヨーロッパでは実際にアート作品を作るときに、政府から補助金を受け取ることができるのですよ。我々は、アメリカの同業者に比べて売れるかどうかを気にすることなく作品を作ることができます。これはビデオゲームメディアの発展のために非常に重要なことだと考えています。ビデオゲームは今現在成功している分野ではありますが、映画や文学作品、音楽などに比べると社会に広まってはいません。ビデオゲームはまだ辺境メディアの一つなのです。それはずっと変わらないかもしれませんし、かつてのように消えてしまうかもしれません(ファミコンの出現前まではビデオゲームはほとんど人気がなかった)。この素晴しいインタラクティブ技術が、あるジャンルで制限されている現在の状況、そして成功できず消えてしまうことは非常に残念なことです。我々の活動は、このメディアに対して重要なものだと思います。このメディアをきちんと探求/模索している人は少ない。その原因の一つは、メーカーのリスク回避です。ヨーロッパではアートの革新への大きな許容力があります。革新を行うことが当然と考える国/場所すらあります・・・時には改革がよくありすぎて退屈だと捉えられることさえも。あらゆることが議論され、タブーはほとんどありません。一方でヨーロッパ人は、(アメリカはリーダーなので)アメリカに対しては作品作りや話す内容を少し気をつけないといけません。いまだに、ヨーロッパ内外でのタブーの違いには時々困ることがあります。
: 話の中心をヨーロッパから離しましょう!何か日本の民話や神話を元にして、ゲームかインタラクティブな作品を作りたいと思いますか?
ToT: 実は日本の民話や神話などをよく知らないのです。『怪談(kwaidan)』の一つから作品にするのは面白いかもしれません。なぜなら、『怪談(kwaidan)』は日本人ではない外国人が、日本のこわい昔話を翻訳したものですから。しかし現状、日本神話を作品にできるほど日本の文化を私達は知らないと思います。別の文化のものを勝手に使わないほうがいいとは思いますが・・・お互いの文化から影響をうけることは、きっとすばらしい結果を生みますね。
: 日本のホラー映画やゲームは、日本だけではなく海外でも人気があります。例としては、リングやサイレントヒルなど。あなた方は気味の悪い表現がすきではないですか?外国人の点からみたら日本ホラーに独自の怖さとは何でしょうか。
ToT: 今までの経験からすると、アジアのホラー映画はより心理的で神秘的です。一方西洋のホラー映画は、もっと血だらけの暴力表現が多く、アクションが中心です。私たちはだんだん怖くなっていく、落ち着かなくなるようなホラーのほうが好みです。もちろん ロブゾンビ監督の映画も十分に楽しめますが、自分たちが作りたいものではありません。また、サイレントヒルには思い入れがあります。サイレントヒル1と2(3もある程度)はインタラクティブなストーリー展開、素敵なグラフィックや音楽が楽しめる名作です。これはおそらくですが、きっとサイレントヒルが名作である理由のひとつとして、サイレントヒルの世界がクリエイターの想像上だけのアメリカの町であったからではないかと思います。日本人のデザイナーたちが、アメリカの文化に幽霊のように潜入したように感じられると思います。日本のホラーゲームで描かれる”通常の”アメリカの町はとても奇妙です。ゲームからモンスターをなくしたとしても、サイレントヒルという町自体が非常に不気味なのです。
: 日本の(ホラー)ゲームの中でお気に入りはありますか?
ToT: ホラーゲームなら絶対にサイレントヒル2が一番です。でも、サイレントヒル1と3、そして零~zero~もなかなか面白かった。バイオハザードはシューティングゲームのような雰囲気で、そんなに夢中にはなれませんでした。シャドウオブメモリーズというゲームもお気に入りです。そしてもちろん、ICO とか動物の森とか、最近だとNoby Noby Boy などもいいですね。やっぱりみんなのように、我々デザイナーのお気に入りリストも日本人ばかりです。もう日本は最高です。脱帽ですね!
: 可能であればどの日本のアーティストとコラボしたいですか?どんな共同プロジェクトに参加したいですか?
ToT: 日本のゲームデザイナー 佐藤隆善さんと一緒に、”首無しの預言者の体を持つ女性の踊り子”が主人公のゲームを作る計画があります。スタジオジブリの作品ならどの作品のゲームであっても作りたいと思います。上田文人 氏をボス戦やパズルのないインタラクティブなゲームに招待したいです。小島秀夫氏はきっと兵士の出ないゲームを我々と作ってくださる(きっとそうしたいでしょう)。山本耀司 氏と 川久保玲さんにデザインされたキャラクターのコスチュームもいいですね。いや~是非コラボレーションしたいな~。
: 最後に、こちらの読者にコメントかメッセージはありますか?
ToT:日本の開発会社とメーカーさんにメッセージがあります。西洋の人々にアピールしなければいけないという訳ではありません。我々は既に日本の大ファンです。西洋向けのゲームには、銃や爆発がなくても大丈夫です。さらに、ホラーゲームをアメリカの会社に絶対に、決して外注しないようにお願いします!
また、日本人の読者の方に質問ですが、『 The Path 』 を日本で発売するときに、元の英語を残したほうがよいでしょうか?『 The Path 』にはテキストはすこししかありませんが、その英語には二重の意味がある言葉がたくさんあり、非常に詩的なテキストなので翻訳すると細かいニュアンスが失われてしまうかもしれないからです。
: ありがとうございました!
Noby Noby Boy !?
cool!!
日本語訳は是非、字幕でお願いします!
日本語でも詩的表現は可能ですので、完全にはニュアンスは一致しないかもしれませんが、うまい人がやれば雰囲気を残したまま日本語にできるとおもいます。
何度かウェブ上で作品情報を拝見しており、気になっておりました。
日本版の発売があるかもしれないとのこと大変嬉しいです。
その際には是非字幕で日本語訳を入れていただければなと思います。それはとても大変な作業をお願いすることになるとは思うのですが・・・
これからも素敵な作品をお待ちしております。
インタビューの途中に出てきたコラボレーション、実現するととても楽しそうです。特に上田文人氏との共作などは興味があります。
Please don’t remove the English sub…
cause that poem is so wonderful…
The PATHの日本語版が発売されるときは是非、元の英語を残していただきたいです。
やはり翻訳されてしまうとそれなりの解釈しかできなくなりますしね…。
確かに日本語訳がないとつまらない、もしくはゲームの真相がまったくわからないという方がでると思いますが、あのゲームにはそういう雰囲気もあったほうが素敵な作品になると思います。
(まあ、多少、本当に多少ぐらいでは日本語訳があると助かりますが…)
では、長文失礼いたしました。
私も元の英語を残して欲しいです。
でもそうすると物語が理解しにくくなるし
英語が全く読めない人にとっては苦痛かも・・・
訳入りと訳無しどちらか選べるようにして
ゲームをプレイ出来るようにしてみれば良いと思われます。
日本語でtotのインタヴューを読めること、とてもうれしく思っています!
the pathの英語についてですが、ぜひ残していただきたいです。
あの素晴らしく美しい世界と、あの英詩が合わさってこそ、
完成された世界観だと私は感じているからです。
英詩は残して、日本語訳の有無を選択性にするというのが理想かもしれません。
元の英語は残した上で、映画の字幕のように、対訳を画面端に付けてはいかがでしょうか?
字幕のON・OFFを選択できれば、なお良いと思います。
今後も素敵な作品を期待しております!
他の方も言ってらっしゃいますが
選択制の映画字幕
という形がいいと思います。
とても楽しみにしています。
英語残してください!
わかる人が後々細かく説明してくれると思うし(この過程が面白い!)、
意味はわからなくてもメロディやテンポを楽しむ事が出来ます。
又、今わからなくても将来、じんわりと理解できた!ということもあると思います。
インタビュー内でおっしゃられてる通り、私達も文化をそのまま感じたいです。
インタビューを読んで、どういう意図で無駄と思われそうな工程が挟まれているのか知ることができました。
何もイベントの起こらない時間をじっくり味わおうと思います。
元の英語残して下さい!
皆さん言われてますけど字幕的な表記にしてオンオフ切り替えられるとありがたいです。
英語も日本語訳も結局はどちらも必要だと思います。日本語訳では真の意味には辿り着かない、でも日本語なしでは初歩からつまずいてしまう・・・・。
英語はそのままに、下に字幕が出るようにするといいと思います。
日本語だけだと雰囲気が壊れてしまうと思います。
私も字幕選択が可能になるととても嬉しいです。
私は英語が全く読めない人間に近いので
字幕がないとやはり、多少理解する事が難しいです。
けれど英文が無いといまいち雰囲気に欠けてしまう
初期プレイで英文を読み、二週目以降で日本文を読めば
より一層、このゲームを楽しめると思います。
既に発売された後ではありますが、日本語字幕は最初から付けないか、皆様が言うように有無を選択出来るようにした方がいいと思います。
翻訳した人の捉え方が反映される場合が多いので(それが悪いと言う訳ではないのですが)本当は字幕は付けないで欲しいのですが、英語が読めない方が多い等の理由もありますから、やはり必要とは思います。
ただ、最初から字幕があると、色んな捉え方を出来るのに「ああ、こういう意味なのか」とその字幕以外の捉え方が出来なくなってしまう可能性があるので、表示するか否かを選択出来るようにした方がいいと思います。
纏まりのない長文ですいません。